パート先もひとつの居場所
くだらない話。
笑い声。
パタパタとかけていく音。
窓から見える夕焼け。
去っていくと決まっている場所から見える景色は、ときに微笑ましく、ときに寂しさに近いものがある。
異動してきてからというもの、私のパート生活はたいへん穏やかなものになった。
行く前は少し億劫でも、行けば笑いあり学びありで充実していた。
「ここも私の居場所だったんだ」と、退職を前にして思う。
誰かが私のことを受け入れてくれたから、
誰かが私の居場所を作ってくれたから、
あるいは誰かが私に居場所を譲ってくれたから、
私は今日も、パート先に穏やかな気持ちでいられるのかもしれない。
異動前にうまくいかなかった上司の持つ、独特の負のオーラは一向に変わる気配がない。だから、私の彼への苦手意識も変わることがない。
でも、もう関係ない。心から思う。
暗い過去は、さようならするまで。
今の職場は、私の居場所。
居場所だった。
だからこそ、笑顔で去ることができる。
尊敬できる人たちと出会えたこと、忘れたくない出会いがあったこと、次へと繋がる学びがあったことを胸に、
次の居場所へと、元気よく歩いていきたい。
「こんなもんだろうな」っていう考え
失礼な話なのだけど、意外と、ある。
ーあの人なんて、こんなもんだろうな。
ーこの人には、わかってもらえないだろうな。
言う前から諦めている。
自分で見切りをつけている。
パート先の人、近所の人、友達、親戚、家族。
知らないことばかりなのに、聞いてもいないのに、その人の過去も知らないのに、「きっとこういう人だろう」と漠然と捉えている。
もったいないこと、なのかなぁ。
身近な人=夫。
私は夫の何パーセント、知っているんだろう?
何パーセント受け入れているんだろう?
何パーセント拒絶しているんだろう?
何パーセント知ろうとしていないんだろう?
何パーセント、諦めているんだろう?
…わからないけど、「期待していない度」が意外と高いんじゃないかって、わけもなくドキドキしたりして(^_^;)
私は、人から期待されないなんて悲しい。
見切りをつけられるなんて悔しい。
どうせわかってもらえないよなんて思われたら嫌だなぁ。
どう思われるかわからないけど、伝えてみるね。
きっとわかってくれると思うから、話してみるね。
…は、うれしいな。
もう少し、人を信じてみてもいいかもしれない。
人の悪意じゃなくて、善意の部分に注目しても、いいのかもしれない。
だってどうせ生きていくなら、よいことを信じていきたいから。
そう思った日。
〖夫婦〗狭い家に満足したい
今の職場が私に合っていても合わなくても、そこから去らないといけない理由。
それは、引越し。
久々とも思える夫婦ふたりの共同作業に少しドキドキしている。
夫は引越しを何度も経験しているので具体的な流れが明確にあり、そこまで不安がなさそうだ。
一方で私は引越しに慣れておらず、「引越しの際の夫の様子」を初めて間近で見る。また私の引越し準備の手際も初めて見られる(見られないようになるべくこっそりやりたいけど…)。
夫は現段階では余裕しゃくしゃくだけど、近づいてきたら焦るのかな?
退去時の立ち会いで掃除が行き届いていないことがバレて不機嫌になったりしないかな?
…今からそんなことを考えてしまう(^_^;)
私の願いは、引越し完了まで揉めることなくふたりで乗り越えること!
欲を言えば、慌ただしい中にあってもお互いを労い励ましながら、穏やかに過ごしたい!
( ・ᴗ・ )⚐⚑⚐゛
もうひとつ、密かに訓練し始めていること。
それは、狭い家のシミュレーション。
まずキッチンが狭くなる。
お料理スペースが狭いということは、効率的に使わないといけない、ものの置きっぱなしができないということ。
そこで最近は「すべての材料をまとめて洗う→ボウルなど1箇所にまとめておく!」、「鍋に具材をすべて入れたらその時点で洗えるものを即座に洗っておく!」など工夫するようにしている。
狭いと文句を言わないために、狭いキッチンを愛せるように、訓練しておきたい😌
そして収納スペースが少なくなる。
今の家は家賃が高めなだけあって、一部屋が広く、収納スペースもしっかり確保されている。
次の住まいは部屋こそ増えるけれど、収納スペースは最低限で総スペースはこじんまりとしている。
見学に行ったとき、収納スペースたっぷりの家と収納スペースが最小限の家の2択となって、後者を選んだ。
収納スペースがあるから物が増える。スペースに入らない分は手放せばいい!!と考えているから。
家が物であふれる諸悪の根源は収納グッズ・収納スペースじゃないか?というのは言いすぎだけれど、小さな収納スペースでどれほどやりくりできるか試してみたいと思った。
今、必死にメルカリで物を手放している。
売れないものは遠慮なく捨てていこうと思っている。
狭い家に住みたい。
限られた物をしっかりと管理して、なるべく丁寧に暮らしていきたいから。
いざ引越したら狭くてぶぅぶぅ!とならないように、狭い家にふさわしい物の量かチェックして、たくさんシミュレーションしていこうと思う。
心配事が多すぎるとき
自分をふりかえって思う。
いつも、頭の中で複数のことを心配しているなぁって。
心配、だなんて。
自分としては、ちょっとした考え事のつもりなんだろう。
でも実際、「あれはどうなるかしら。これは大丈夫かしら」と頭に思い浮かべてはため息をついている。
考え事をしている自分は至って真剣なのだと思うが、その考え事たちにスポットを当ててみると、【今考えてもしゃーないこと】が案外多いかもしれないと気づいた。
今日のパートで、こうだったら。
数ヶ月後、新しい職場で、こうだったら。
あの人に、もしこう思われていたら。
こういったことは考えても考えても明るいヒラメキなど生まれない。
起こるかもわからないことをうじうじ考えて立ち止まっているのは、もったいないんだろうな。
じゃあどうするっていうと、
【今、目の前のことに集中すること】。
ここに戻ってくるのかなぁ。
目の前の人との会話を大切にする。
目の前のなすべきことに集中する。
それが終わったら、次になすべきことにとりかかる。
こうして1日が終わっていくのかな。
楽したい、苦労したくない、という思いは私のうちに常にあって、一所懸命やりたいと思うもう一人の自分と常に戦っている。
まだ火曜日。
一所懸命やりたいと思っている自分よ、がんばれー( ・ᴗ・ )⚐⚑⚐゛
考え事は、ほどほどに😊
パート主婦の務め
夏は連勤続きで、パートが忙しい日々だった。
夏なにしてた?と聞かれたら、働いてた、と答えるくらい。
パートに出て働いた報酬は、翌月のお給料で形となって現れる。
私も思った以上の金額に嬉しくなるし、夫も「いいね〜」と嬉しそうで、その反応でまた私も嬉しくなる。
そんなことが夏の間続いたあと、「もう少し働く時間を増やそうかな」と思うようになった。
理由はいくつかあるのだが、ひとつは、気持ちの余裕。
振り返ると自分で自分が情けなく感じるのだが、自分が働いていつもより稼いでいると、「これくらいいいや」と支出に甘くなるようになった。外食やデザートちょい買いが多くなった。ちょこちょこ楽をするようになった。
とにかく意識がゆるんでしまったのだ。
「私は働いているんだ!」というプライドも強まった。
でも…
家の中のことが、疎かになった、と思う。
家の中のことを犠牲にしてパートに出ることもあった、と思う。
私はこんなに働いているのに、なぜ家事を私だけでしなきゃいけないの?と思うことが増えた、と思う。
最近、秋になってパートが減って収入ももちろん減るという現実を前に、ふと夢からさめたような気持ちでいる。
働く前に、主婦でいること、なんじゃなかったかなぁ。
これくらい稼いだ!と自慢したいなら、短時間パートじゃないと思う。
それにパートとしてどんなに働いたところで、正社員の夫に収入はかなわない。
夫も、稼いだら喜んでくれるけど、そこそこだと落ち込むかというと、そうではない。いいね、くらいの反応はくれる。
それよりも夫が喜ぶのは、栄養バランスのとれた食事、とかだったりする。
金額には現れなくても、自分の役割をもう一度認識しようと思った。
たとえ毎月同じ額しか稼げなくて新鮮味がなくても、家のことをある程度しっかりできるなら、いいのかな。私の力量だと、ホントにある程度、になってしまうんだけど。
働いているんだから(`・ω・´)ムキー! は、ある意味危険信号だな、と学んだ初秋です。
知人の妊娠を知って…
はじめに
この記事では妊娠、出産についての個人的な思いを綴っていますので、そういった内容が好きでない方は読まないでください。
ふとしたときに、それはやってくる。
ーあ、○○さん、妊娠したんだ。
自分から知ろうとしていない。
「今から知人の妊娠に関する情報を流しますがいいですか?yes/no」なんて問いがあれば、少しくらい心の準備ができるけれど、写真や世間話を通じて唐突に脳に入ってくることばかりだ。
実家から距離が離れていてSNSもやっていない分、情報の鮮度はたいへん悪く、すでに出産していたとか臨月でもうすぐとか2人目妊娠中だとか、内容にも毎度驚かされる。
昨日もひとつ、知ってしまった。
数ヶ月前の写真。華奢な女性の明らかなお腹のふくらみ。
同時期に結婚してそれっきりの夫婦だが、もともとあまりタイプが私には合わないこともあって、複雑な新境になってしまった。
毎回感じる、名前のつけようのない、どろどろした感情。
妊活に励んでいるわけでもなく、今か今かと待ちわびているというわけでもないのだが、なんだろう、やっぱり先越された感…があるのかな。
「まぁ妊娠した相手より私の方が若いんだし」なんて考えて自分を慰めている時点で、自分が情けなく嫌になる。
なんで毎回微妙な気持ちになるんだろう?
それは…
授かれない恐怖心、なんだろうと思う。
授かれば、忘れられるであろう負の感情。
すべてをなかったことにできる。
でも、もし、授かれなかったら?
どうその事実と自分の気持ちの折り合いをつけていけばいいんだろう。最近は、そんなことを考えている。
妊活してみないとわからない。親は苦労することなく私を授かったという。でも、関係ない。
何か大きなことに挑戦する前の気持ち悪さのような、漠然とした不安感のような、そんなものが常に私を支配しようとしている気がする。
結婚してすぐに授かる人を見て、私もそうなりたいとは思わない。
私にとって妊娠出産は危険で大変で命の責任を伴う大事業だから。しかも一度始めてしまうともう後戻りはできないこと。
だからこそ、結婚してすぐ妊娠したり、2人目を授かったりする人を見てなんとも言えない気持ちになるのは、私がなかなか超えられない壁を軽々と超えていく勇気を持ち合わせていることへの嫉妬。かもしれないなぁ。
経済的な余裕とか、「私は子どもが大好きだから、楽しみ♪」などと言える気持ちの余裕が、結局はうらやましいってことなのかもしれない。
始めちゃえば、こっちのもん。
こんな気持ち忘れてしまう、のかもしれない。
でも簡単に始められることではないし、始められるかどうかは私が決められないことだから、モヤモヤとはこれからもお付き合いしていかなきゃいけないってことだ。
〖パート〗どれくらいの頻度で働くか
今の職場は、シフト制で、働く曜日や時間は一定ではありません。
季節に左右される面もあり、この月は週2が多いだけど、この月は週5が普通、なんてこともあります。
5連勤のときは「毎日働くのはつらいなぁ、休みがほしいなぁ」と感じます。
週2くらいだと「もう少し働きたいなぁ」と思います。
週3〜4だと、休みが間に入るので「なんだか調子が出ないなぁ」という気持ちになってしまいます。
わがままですね…(^_^;)
新しいパート先をどこにするか、どれくらいの頻度で働くか、現在検討中です。
働かない生活よりは、働く生活中心のほうが、生活にメリハリが出ていいなと感じます。
時間帯でいうと、できれば午前中の頭が冴えているうちに働きたいですが、夫と一緒に朝ごはんを食べられなかったり、顔を見て送り出せなかったり、朝からバタバタしてしまうというデメリットもあります。
(大袈裟ですがいつこの世の別れが来るかわからないので、朝、顔を見て送り出すことをけっこう大事にしています)
どのくらいの時間働くかも難しいところです。
長く働けば働くほど、収入的にはいいのですが、家事とのバランスを考えなくてはなりません。
パートから帰ってきて即座にごはんの準備に取り掛からないといけないスケジュールでは、ストレスが溜まってしまいます(^_^;)
短時間で週4-5働くか、長時間で週2-3働くかでも悩みます。
なにを大事に考えるか、ですかね。
正直いちばん影響を受けるのは、職場の人間関係なのですが…!
まだまだ職探しの日々は続きます。