パート主婦のミニマムブログ

日々の素直なつぶやき集

過去の傷に対する新しい見方

ここ最近、いやもうずっと前からか、過去の出来事を振り返ってしまう。

過去の自分の失敗や、傷ついたこと、嫌だったシーンなどを思い出し、あぁ嫌だった、あいつのせいで…などと思う。

自分の後悔よりも、人への恨みつらみを考えているときは特に精神が辛い。



昨日職場からの帰り道、運転をしながら、ふとある考えが頭に浮かんだ。

─過去の出来事は、私にとって、人生の「汚点」なのだろうな。
だから、何度も思い出し、時には自分を責め、またある時には自分の人生を「汚した」ように思える人を恨んでしまうのだろうな、と。


そう思ったとき、自分はやっぱり「幸せ者」に分類されるのだろうと思った。

なぜなら、そんな数える程度の汚点しかない、つまり他はほとんど順風満帆で、人に恵まれ、充実した日々を送ってきたということだから。

過去の日々には大なり小なり辛さ悲しさがあっただろうが、何度も思い出しては悔しくなるような経験は、ほんの僅かなのだ。


世の中にはずっと小さい頃から辛い思いをしている人や、同じ苦しみを長い間抱えている人もいよう。

私の苦しみはあるいっときの話で、連続しておらず、断片的だ。
その瞬間を切り取って、思い出しては、辛かった嫌だったと思うぐらいなのだ。
他が幸せだったからこそ、ある一点の苦しみに焦点を当てられるのだ。
つまり、幸せだったことの裏返しなんだな。



もう一つ思ったのは、単純に、「私が若くて、失敗してしまった」、そのことを受け入れていかないとな、ということだ。

そう、誰が悪かったとかあいつのせいでとか思うけれど、私も悪かったのだ。
悪口を言ったり、陰口をたたいたり、ラインで愚痴ったり、裏でこそこそしたり、私もしていたのだ。
大人気なかった。失敗だった。
その自分の幼さを、認めないといけない。

同時に、多少なりとも私の幼さゆえの失敗を受け入れてくれた、許してくれた、忘れてくれた、当時の人間関係や環境に、感謝しなければならないな、とも思う。

私にとって嫌だった人も、たしかに失敗したのだろうが、私もたくさん失敗していたということ。
なんだか結局「若かったね」という結論なんだろうか。



過去の自分は、たしかに今と繋がっているけれど、他人であるとも思う。
どこかで踏ん切りをつけて、「そんなこともあったね。たくさん失敗して、許されて、よかったね。じゃあね。」と、手を振って、前を向いてまた歩き始めることも、人生には必要なことだろう。




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