【夏の記憶】親にしてもらいたかったこと
夏といえば、親元を離れてキャンプやお泊まり会。
なんだか切ない思い出もセット。
子どもがいる今、この気持ちを忘れないように書き留めておこう。
お泊まり後、親にしてもらいたかったことふたつ。
【①お泊まり会のお迎えは早めに来てほしかった】
疲れているから早く帰りたいということではない。
早めに、それがむりならせめて時間通りに迎えに来てほしかった。
遅れて来るのは、自分がいないほうがいい存在だと言われているような気がして…。
そんなこと絶対ないのだが、今思うと、それが子どもの(私の)感性だな、と思う。
バスが到着したときに親の顔が見れたら、きっと嬉しいだろうし、その親が私に笑顔で手を振ってくれたりしたら、もっと嬉しかったに違いない。
「帰ってくるのを、待っていたよ!」
ー親の、そういう思いを感じられるから。
実際、ある程度の年齢になった子どもがいない夜は、解放感があるだろうし、そういうときしかできないことが親にはあると思う。
ごはんだってひとり分少なくていいし、私なんて当時とてもにぎやかだったから、静かな時間を過ごせたことと思う。
それでも、「いないとさみしい。早く帰ってきてほしい。」そう思っていてほしかった。
そしてそれを、行動に現してほしかった。
早く帰ってきてほしいから、早く迎えに来たよって。
【②思い出をひたすら聞いてほしかった】
色々経験して感じて考えたことを、最初から最後まで親に聞いてほしかった。
興味をもって、嬉しそうに聞いてほしかった。
親ならそれぐらい当然できるだろうと期待していたのかな。実際は運転しながら私のマシンガントークを流していたように思うけど…。
子どもながらに思ったものだ。
私が親なら、喫茶店でも寄って話を聞いてあげるのにと。
静かな場所や、子どもの落ち着く場所。
子どもの声がうるさくて喫茶店がまずいならファミレスでも自宅でもいい。
とにかく「帰宅後の子どもに自分の時間ささげること」。
夕飯が心配なら作っておけばいい。所用は先に済ませたらいい。
なんのためにキャンプやお泊まり会に行かせるのか?多少なりとも、経験を通じて子どもの成長を願うからでは?
子どもが感じたことや考えたことを聴くこと、ときに気持ちの整理を手伝うこと。
それも親の役割だと思う。
お金を払って連れていって満足する親にはなりたくない。習い事でも、塾でも、夏のお泊まり会でも。