大切なものって変わっていく
過去に私を満たせていたものが、時と共にもう満たせなくなっていることに気付く。
…どんなレベルの人が私の隣にいるか
…お金をとれくらい稼ぐか
…質より量
…休みをどれほど充実させるか
…それをどうやって周囲に見せつけるか
…どのブランドを格好よく持つか
時期によって偏った価値観があった。
痩せていることがすべて、
ブランド品で身を固めることがすべて、
彼氏がすべて…
ある意味、私は一般的な道を通ってきたのだろうと思う。
今そのことをはっきり認識し、いかに恵まれた環境であったか分かっているつもりだ。
そしてまた一般的に学んでいる最中だ。
親の偉大さ。
家族と過ごす時間の大切さ。
重要なのは良い物を持つことではないということ。
言葉の大切さ。
思いやりの大切さ。
今まで私が握ってきたもののほとんどは、くだらない物だったこと。
こうしてだんだん大切なものの存在は変わっていき、私自身が少しずつ成熟していき、家族の有難みを痛感しつつ親を送り出し、私もまた老いていくのか……。
それがいたって普通の、一般的な人生であったとしても、「経験してみないとわからない」。
いたって普通でいい。
私は私なりに、ゆっくり気付き、ゆっくり学び、後悔や反省もしつつ今後の人生を歩んでいこうと思う。
…
ただ、すべてが終わってから気付くのは悲しいとも思う。
来たるべき30代を前に、私は何かを備えようとしている。模索している。
親もまだ若い。いくらでも関われる。
言葉をかけるなら今だし、会いに行くのも今だ(コロナで現状無理だが)。
30代になる前に、本質に気付きたい。迫りたい。悟りたい。
それが正直な気持ちでもある。