人生の難しさ。自分という人間
右手を上から、左手を下から背中の中央に向かって伸ばすと、以前のように指先が触れ合えなくなっていた。
あれ、こんなに硬くなってしまったのか、とショックを受けた。
身体は日々変化している。
その変化に無頓着だから、メンテナンスもしない。だからふと気がつくと、自分が思っているよりもずっとカチコチになっている。
「産後だから」「日々忙しいから」「子どもが第一だから」
と、いくらでも訳は並べられるけれど、カチコチになった体を抱えて一番苦労するのは自分自身なのだ。
私の場合、心もカチコチで、それに今苦労している。
若い時代からほんの少し足を伸ばしただけと、思っていても、日々は意外と大股で過ぎている。
もうずいぶん、あの頃のパッションもワクワクもアクティブさもない。もはや別人のようだ。
あの頃の私。「人のために何かしたい」「人と関わりたい」そんな純粋な姿が今では太陽光のようにまぶしく、直視できないほどだ。
時おり、人生ってなんだろう?って考える。
そして、人生ってなんて難しいんだろう!と思う。
それは、人生の目的や成功が
お金を稼ぐことや高い地位に就くことや意地悪をしてでも人を出し抜いて上へ行くことでは決してない、と考えるからだ。
意地悪でいい。悪賢くていい。人をだましていい。自分勝手でいい。自分のために生きればいい。
それがたしかな真実ならば、どれほど楽だろうか?振り返りもせず、左右も見ず、突っ走ればいいだけだから。
でも本能が「それは違う」と訴えかけるのだ。
赤ちゃんは座った!立った!それだけで最高の成長だ。
その後も動いた!話した!一つ一つの成長が宝物で喜びそのものなのだ。
何をしても成長。希望がある。
そして学校にいる間は学んでいる最中だからいくらでも失敗できた。悪い点数も取れた。
人間関係で問題があっても、未熟だから、学びの途中だからとかばってもらい、はげましてもらった。
よりよい未来のために学び続け、生き続けた結果の【今日】。
学校も卒業し、親から離れ、家族ができ、今こそ人間の真価が問われている気がする。
「おまえはいったい、どういう人間なんだ?」と。
それがひどく、恐ろしい。
さらに恐ろしいのは、人生が終わるまで、その問いがついてまわるということ。
肩書きがあっても、それが何になる、と思っている自分がいる。
○○卒業とか○歳に結婚とか○○に就職とか関係なく、
毎日、目の前にすべきことがあるのに何かと言い訳をして自分優先に生きてしまうとか、
支えはげますべき夫に対して評価ばかりして心の中でいつもこき下ろしているとか、
数え切れないほどの自分の弱さと向き合わずに生きていることとか、
・・・おいおい、自分って、全然たいした人間じゃないじゃないか、という恐ろしい気付き。
そして、そういう自分と向き合い格闘し本当の意味で「成長」できるように努力すること、それが人生なのかと考えたら・・・
改めて人生って、こわくて、難しいものだなぁと思う。