パート主婦のミニマムブログ

日々の素直なつぶやき集

妊娠出産についての現在の心境

(※以下、妊娠や出産について超々個人の気持ちを述べていますのでご注意ください。)

ちょいと前まで、一生ふたりでいいやっていう時期を過ごしてた。

自分にはできないし。
自由が奪われるし。
イライラするだろうし。
夫との溝が深まるだろうし。

そんなマイナスの想定しかできなかった。

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今は、大きく分けて2つの気持ちがある。

ひとつ目は、なんだかんだ、それなりにやっていけるのかなっていう気持ち。

ふたつ目は、子どもを出産し子育てしないと分からないことが多々あって、その学びってのは私自身にとって必要なものなんじゃないかっていう気持ち。

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ひとつ目の、それなりにやっていけるのでは?っていうのは、周りを見ていてたまに感じる。


家庭の事情は全く見えないから、「子どもが生まれた」という事実しかわからない。だからこそ、旧友たちは不思議なくらい結婚後スムーズに親になっているように見える。

ー妊娠出産に関して二の足を踏んだり、迷って仕方なかったりしないのだろうか?

ーみんな、結婚=親になることだって、覚悟を決められているのだろうか?

ー自分は親としてやっていけるとの自負があるのだろうか?

ーそもそも、子どもが大好きで、自分たちの愛する子どもが早く見たいと、希望でいっぱいなのだろうか?


…とまぁ不思議で仕方ないのだが、とにかく彼らは親になっているし、それなりに楽しんでいるようだし、立派に親の仕事を果たしているように見える。

ほお、親というのには、どんな学生時代を過ごしていてどんなキャラクターの人であってもなれるものなのかと、単純に関心してしまう。

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ふたつ目の、自分には妊娠出産が必要なのではないかというのは、最近痛烈に感じる。

一言でいってわがままなのだ。
自己中心的に生きているし、生きられてしまうのだ。

夫に気を遣うということは我が家の場合大いにある。
だが、大人相手だから、なんとでもなる。
とりあえずおいしいもので機嫌をとってもいいし、寝たら忘れるという機能も付いている。
どーとでもなる。
放っておけばゲームで勝手に楽しんでいる。
たまの仕事とごはんさえ作れば他は自由である。


子どもがいたらどうだろう?

みんな言う、自分の時間がなくなると。

子どもに迷惑をかけられ、その尻拭い、代わりに謝る、責任を取る。
命を預かるプレッシャー。

親になることでどれほど肝のすわった人間になれるか?

そして親になることでどれほど周囲の親や子どもに優しい目を向けられるようになることだろうか?

今の私には優しさが足りない。つくづく思う。

子どもができることで、人に優しくなれる、人間的に成長できる。そのことを心のどこかで期待しているのだ。

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今は妊活しないっていうのは自分の意志であるんだけど、周りの親子を見ると、正直言ってもやっとする。
幸せを見せつけられているような気持ちになる。
直視したくないような気持ちになる。

人って、手を伸ばせば届くところにある幸せを、既に手に入れている人に対して嫉妬することがあるらしい。
そんな感じなんじゃないかと思う。

勇気。タイミング。決意。機会。
なんだろう、なぜだろう。二の足を踏んでる。

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んで最近私がたどりついている答え。
選択一人っ子。

一人だからがんばれる。
一度だからチャレンジしてみようと思える。

1回だから大丈夫だよ。

そう自分に話しかけてあげないと、とてもじゃないけれど立ち向かえない。
私にとってそれくらい、大きな、重要な案件なのである。


とりとめないが、今はこんな感じ。