もやもやしている自分に言ってあげたいこと
生きている、だから、もやもやする。
ある動画で「生きづらさや感じたことを言葉にできるといいよね」というようなコメントに出会い、なるほどと思った。
最近の私は、もやもやしていることに気付いていながらも、見ないふりをしてやり過ごしている。
だからもやもやは晴れず、形も変化もせず、そのまま。
ふと、「言葉にしてみようかな」と思ったので思うままに書いていく。
なんだか最近、自分に対する認識が「嫌なやつ」になってきた。
自分の中に眠る悪意を感じるのだ。
いや、眠っていないか。すぐそこにいつもいるな。
私は幼い頃から人の悪意に敏感だった。言葉、表情、態度から人の悪意を(不快、怒りなど負の感情も含め)感じ取ってきた。
だからこそ私はいい子でいようと思った。人の悪意に火を点けないように。
明るくて前向きで真面目な自分。そんな自分が私はきっと好きだったし、誇りだったと思う。
けれど、少しずつ私は変わっている。
生きることって疲れるなぁという気だるさがある。
生きるってこんなもんか、と思い始めている面もある。
そう、「こんなもんか」という言葉がよく似合う。自分自身に対しても。
思っていたより、優しくなかった。親切じゃなかった。愛がなかった。
私の実態。
でも、そんな私を私自身が切り捨ててはいけないんだよね。
親がどこまでも我が子を我が子として受け入れるように(あくまでイメージ)。
どんなに自分に絶望しようと、私は私を受け入れてあげたい。
ホント弱いよな、としか言えなかったとしても。
人間関係って疲れる。
仕事も人間関係の塊だから疲れる。
その中で問われる人間性。愛情。
あーあって、自分にダメ出しの日々。
でも、だからこそ自分に言いたい。
もう十分に頑張っているよ!と。
なぜそう声をかけるのか?
自分を励ませるのは自分だから。
自分の弱さを見ているのも自分だけれど、自分の頑張りを見ているのも自分だから。
仕事でくよくよ悩む。
私って向いてないなぁ。成長してないなぁ。
いや、違うか、と見方を変えてみる。
今悩んでいるのは、次のステージに行った証拠では?
1つできたことで満足していた時期もあった。
でも今は3つやりたい。創意工夫したい。
できると思っているから、悩むのだ。
頑張ってるね!成長したね!
そういう言葉を人から待っていても得られない(子どもの頃は先生に褒められたけど、それは先生の仕事だからであって、大人は自分のことで必死なのだ)。
自分に言う。
すごい!次のステージに行ったね!と。
悩んでいるのもいいけど、もう頑張ってるよ、大丈夫!
私を褒めるのは私。
私を受け止めるのは、私の役目なんじゃないかな。
大丈夫だよ。
今抱えているもやもやも、いつか必ず晴れるから。
昇華するか、忘れるか、解決するか、パワーアップするかするよ。