夫婦
他人と、
一日中、一年中、何十年もいっしょにいる。
それってすごい決断だと改めて思う。
「他人といると疲れる。」それは、いたって普通のことだろう。
他人とどんなに同じ時間を過ごしたって、
他人は他人で、
「溶け合うように分かり合う」なんてことはありえない、と思う。
だって同じ空間にいたって、相手は自分になれないから。
自分は相手になれないし、ならないから。
人は変わらない。ずっと変わらない。
相手を見ても自分を見ても、改めてそう感じる。
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「結婚相手は、今や友達のようだ」という人がいる。
私は最初この言葉を受け付けなかった。
友達な訳があるか?じゃあ夫婦ってなんだ?
もっと夫婦は高次元の、崇高なものじゃないのか?って。
【夫婦】に期待していた。
【友達】を卑下していた。
つまり、こういうことだったんだろうな。
でも、最近になって思う。本当に、そうかもしれない、夫婦は友達でもあるかもしれないって。
私の、唯一の友達。
切っても切れない縁で、
今日も明日も今年も来年も関係は続いていって、
今日より明日、きっとその絆は強まっていって、
喧嘩もするし毎日ムカつくけど、心底嫌いにはなれないし、
相手の可愛い面も誰より知っているし、
いいところもきっと誰より知っている
(直してほしいところは書ききれないほどたくさん)。
私は友達が少ない。
欲しいとも思っていない。
いわゆる友達は、いわゆるメンテナンスが必要だから。
定期的に連絡したり、定期的に遊んだり、定期的に褒めあったり、定期的に心配したり、
そういうことが私にはプレッシャーで、気がかりで、嫌だった。向いていなかった。
イイ友達はたくさんいる。財産だと心から思う。
それでも私は地元から逃げるようにココに来た。
定期メンテナンスが、億劫だったから。
そんな私に半ば強制的に与えられた友達。
それが夫である。
またこの「友達」が、この私にありえないぐらいズケズケ物を言ってきて、
ここを直せとか足りないとか相手の領域に踏み込みまくってきて、
憎らしいったらありゃしない。
同時に、羨ましくもある。
こんな違って、一緒にいるって、笑い合えるって、夫婦だから、友達だからだよなぁ。
友達って(夫婦って)、面倒だけど、素晴らしいじゃん。
長い時間をかけて、そう教えてくれている。のかも。