自分を励ますのは自分だけ
夫婦関係でも友人関係でも、
「わかってくれない」
「わかりあえない」
そんな悩みは尽きない気がする。
どうしてわかってくれないの?
どうして寄り添ってくれないの?
ぶつかる度、そんな思いが沸き出てくる。
だが、ふと思った。
そもそも、わかりあえるという前提が間違っているのではないか?
夫婦。
他人で、別々の道を歩み、違った経験をしてきた。
遺伝子だって繋がっちゃいない。
そんな人同士が、たまたま同じ空間で暮らすことになったって、
どうしてわかりあえるだろうか?
「落とし所を見つける」「妥協点を探る」「すり合わせる」せいぜい、できたって、このあたりじゃないか。
わかりあえる。わかりあわなきゃいけない。
そういう前提があるから、苦しむんだろうな。
夫婦は他人。
わかりあえないから、お互い譲れるところは譲って、なんとか折り合いをつけよう。
そんなスタンスがいいのかもしれない。
════ ⋆★⋆ ════
そしてもうひとつ。
どうしても、人から癒やしを得ようとしてしまう。
喜び、承認、慰め、癒やし。
人からもらおうとすると、必ず食い違いがあり、不平不満が出る。
「自分を励ますのも癒やすのも自分だけ」。
こう肝に銘じ、この前提で生きるべきだ。
だからこそ。だからこそ、
私に共感してくれた人、
私と喜びをわかちあってくれた人、
私を励ましてくれた人、
私を喜ばそうとしてくれた人、
そんな人がいたら、
何回でも、お礼を言いたい。
だって人は人の人生を歩んでいて、
私に手を貸す義理なんてないんだから。
優しくされることに慣れたらいけない。
それはいつも稀少で、特別だ。
自分のことは自分で。
でも、助けてもらったなら、笑顔で心からお礼と喜びを伝えよう。