夫への思い、自分の育児について
昨日は夫に苛々して辛かった。
休日にもっと育児に参加してほしいという点でもやもやしていた。
土曜日だったから1週間の疲れが出たというのもあるだろうし、
夫とのコミュニケーションが足りなかったというのもあると思う。
佐々木正美先生の「育児は半々にするものではない」という言葉が心に響く。
私がやるようにやってほしい。
私がやる以上にやってほしい。
どこかでそんな風に期待しているのかもしれない。
夫叩きは実に簡単だ。
「夫も妻ぐらい育児参加するべき!」と多少強く言っても誰にも否定されない。そうだそうだ、と言ってもらえる。
けれど正美先生に言わせれば、父親は母親を越えることができないし、赤ちゃんに絶対的に必要なのは母親なのだ。
子どもにとっては、ママがすべて。
もしそうだとして、そのママっていうのがこの私なんだってことが、自分自身まだしっくりきていないのではないかと思う。
認めたいわけではないけれど、
自分の育児への自信のなさが、夫への要求を大きくさせているのかもしれない。
一緒に育児することで、分担することで、疲れやリスクや目に見えない何かを分散させたい…のかな。
夫への要求の前に、自分の育児を見直さなければ。
なぜなら自分の育児の姿を決していいと思えないし、満足していないから。
もう少しおおらかに豊かな気持ちで育児をできていると思えるならば、夫にこうしてほしい、という具体的なリクエストができると思うのだ。
頭に浮かんだ攻撃的な言葉をぶつけるだけでは、傷が大きくなるばかりなので、自分の中で少し考察してみよう。
ゴールデンウィークまでにもう少し自分の育児スタイルを探索したり工夫したりして、自信を持っていけたらいいな。
命の尊さを感じられる、喜び
子育てをしていて、これは自分のためだなぁと感じることがある。
命の尊さ…よく聞く言葉だけれど、それを今、実感として覚えられるから。
周りの子どもが可愛く見えるようになった。幸せを願えるようになった。いとおしいと思えるようになった。
そして子どもの背後にいる親の思いを想像するようになった。
どれだけ愛し、心配し、幸せを願い、命をいつくしんで日々ともに歩んでいるか。
育児は決して簡単なことじゃない。楽なことでもない。終わりもない。正解もない。休憩もない。
悩みながら、涙しながら、愚痴を言いながら、毎日毎日、過ごしていること。
親のすごさ。ママのすごさ。
すべて、自分が親になって初めて、感じられた。
たまにこの子にどんな「喜怒哀楽」が用意されているんだろうと思うことがある。
楽しみ半分、心配半分。
この子が誰かに傷つけられることが怖い。この子が誰かを傷つけてしまうことが怖い。
でも必ず、そのときは訪れてしまうんだよね。自分がそうだったように。
怖いもの知らずだった。平気で人を傷つけていた。たくさん失敗した。
それも、生きていた証拠。
私は失敗することもその子の権利だと思っている。
だから失敗しないようにと手を貸すことは必要ないと思う。
でも、子どもが傷ついたり悲しんだりするのを目の当たりにするのはつらいな。
親として、これから少しずつ、練られ、成長していくんだろうなぁ。
命の息吹に感謝。
出会いと別れの季節。さみしさもあるけれど、きっとまた新しい出会いがある。
ひとりじゃない。ふたりきりじゃない。そのことに、感謝。
ゆっくり、一緒に、成長していこう。
たくさんの喜びを感じられる、幸せ
幸せな日々だ。今はそう思える。
同じ事柄でも、私の思いが変われば、見方は180度変わる。
育児がたいへんに思えるときもあれば、幸せに思えることもある。
自分ばかり…と思うときもあれば、働いてくれる夫に感謝することもある。
私の毎日に幸せがたくさんあふれていることは間違いない。
ただそれを見つけられるか、感じられるか、味わえるかは、私次第なんだ。
どうやったら感じられるか?
私なりに見つけたポイントは、「ひとりじゃない」というのを覚えること。
私を心配してくれている人がいる。
応援してくれたり、助けたいと思ってくれたり、何かあったら駆けつけたいと思ってくれたり。
そして、私の子を可愛いと思ってくれたり、成長をよろこんでくれたり、見守ろうと思ってくれたり。
そんな方々がたしかにいるっていうことを、知ること。覚えること。感謝すること。
そういうとき、力が溢れてくるような気持ちになるし、もっと謙虚に生きようと思える。そして今の状況がとても幸せなんだな、と思える。
孤独は、つらい。孤独だと思ってしまうことは、悲しい。孤独じゃないのに、孤独だと思い込むことは。
コロナ禍で、人を信じる気持ちや、交流しようという気持ちがずいぶん弱ってしまった。
でもまた、回復させていこう。
ゆっくりゆっくり。
「やっぱり人と人との関わりっていいな。あったかいな。」ということを味わっていこう。
そして私と関わる人にとっても、「関わり合いっていいな。」と思ってもらえたら、嬉しいな。
春に、期待する。
みなさんの春も、温かいものでありますように。
次なる目標、したいこと
赤ちゃんの起きている時間は長くなってきているものの、日中まとまって寝てくれるタイミングがある。
眠かったら睡眠を優先させるが、食事をした直後だったり、睡眠がとれていて気持ちに余裕があると、何かしたくなってくる。
ようやくあれしたい、これしたい、そんな気持ちが湧いてきたことが嬉しい。
当面の目標やしたいことがいくつかある。
散歩
読書
整理整頓 だ。
散歩については、赤ちゃんと自分のため、1日30分を目安に行いたいなと思っている。
最初から習慣化を目標に…なんてハードルを上げるのはよそう。
とにかく赤ちゃんと外に出ることに慣れていきたい。ベビーカーや抱っこひもも使いこなせるようになれば、そのうち赤ちゃんと商業施設にも行けるようになるかもしれない。まだその勇気はないが…。
読書については、最近読みたい本が見つかり、メルカリで買ってしまった。
私は元々推理小説が好きなので、オススメされると読みたい気持ちがむくむく湧いてきた。
読んでいるヒマはなかろう?そんな余裕あるのか?と思ったりしたが、赤ちゃんがいて何もできない!なんて考えたくないから、どんなに小さいことでも、したいことを叶えることが今は大切かな と思っている。
最後は整理整頓。
プリント類や自分の服、子どものお下がりを整理して、不要な物を捨てたくて仕方がない!
すっきりさせるのが楽しみだ。
そんな今の目標たち。
したいことは色々と
どれもこれも後回し、最低限の生活!…という日々も少し落ち着いてくると、色々気になりだすものだ。
不要になったマタニティ・ベビー用品をメルカリ出品したり…(着手中)
育児関連の書類を整理したり…(願望)
私の服を断捨離したり…(願望)
👚
パッとひらめいたらパッとやってみる、それが好きだった私にとっては、諦めることの連続だ。
休養、栄養摂取、育児、家事
やってみたいことより優先度の高いものなどいくらでもある。
👚
だからって、考えることをやめないことが大切だ。
こうしたいなぁ、ああしたいなぁ。
こんな家になったらいいなぁ、こんな収納できたらいいなぁ。
妄想し続けること。
今はできないけど、いつかきっと取り組める日が来る。
時間や余裕や機会はきっとまた生まれる。
👚
今すぐできないからって腐らないことだ。
それがここ数年で学んだこと。
ミニマリストに憧れ始めた頃は、すべて出すということが不安でできなかった。
汚す過程を直視したくなかったし、元に戻せるか不安だった。
今はその心配などほとんどない。汚くなっても戻せるし、元よりきっといい状態になると信じられる。
慣れ、経験、そして自分への信頼が少しずつ増えていったのだ。
だから今すぐ取り組めなくても絶望するまい。
今の家にはきっと数十年住むのだろうし、好みだって体型だって変わっていくのだろうし、まだまだできることはある。
そのうち、できるようになるよ。
そんな心持ちでいつもいたいものだ。
あと一歩 与えられたらいいのに
ふだんなら寝てくれるところをなぜか寝ない
なんで?なんで?と焦る
少し様子を見てみたり
声をかけてみたり
あやしてみたり
私の中で授乳はもう終わっている認識で
もう一度、という気が起きない
疲れているし…と
しばらく様子を見てもぐずって泣いている
よし、とミルクを多めに作る
与えてみると、ぐびぐび飲み始めたかと思ったら、少ししてピタッ!と止まり、寝てしまった
そうか、「ほんのあと少し」のみたかっただけなんだ
「ほんのあと少し」甘えたかっただけなんだ、安心したかっただけなんだ……
そんな気づきとともに、
その「ほんのあと少し」が与えられない自分に情けなくなる
悲しくなる
ほんの少しの手間 時間 労力 意識
大切な我が子に対してさえ、小さな犠牲を払うことを躊躇う、己の小ささ
きっと子育てをして行く限り、自分の小ささというのを実感し続けるのだろうな
今日できなかったことが次からは、明日からは、いつからか、できるようになるといいな
それが
今の 希望
今 思うこと
育児には楽しいときと楽しくないときがある。
楽しいときは、余裕のあるとき。これを感じられる瞬間は本当に幸せ。
余裕があるときとは、
ミルクを飲んで寝てくれたとき。自分も眠れたとき。笑ってくれたとき。
🌟
辛いときというのは、陣痛に耐えていたあの時を思い出すほど、ただ辛い、という感じ。
陣痛ほど辛い経験はもうないので、あれを思い出すだけで、超えることは今のところないが。
辛いときは、
ミルクを飲んでも授乳しても寝る気配がないとき。生活リズムがめちゃめちゃなとき。まとまって眠れていないとき。昨日と全く違うペースなとき。
🌟
人間とはワガママはもので、
あれだけ楽しみにしていた自宅も、
近付けば近付くほど漠然とした不安がでてくる。
いや、本当は漠然となんてしていない。
夫と仲良くやっていきたい。
だからこそ、その裏返し、仲良くやれなかったら?何か言われたら?傷付いたら?傷付けたら?
それが、心配なんだ。
実家で確信したことは
大切な人を傷付けるのも、大切な人に傷付けられるのも、どちらも本当に辛いってこと。
覚えていなければ。
子どもにとって、両親のいがみあい、両親の不和は見せてはいけない。
子どもにとって、母親も大事、父親も大事。
長らく子どもとふたりきりでいるような気がして、頼りたい夫の存在がなくて当たり前のような、いない人のことなんて浮かばないっていう感覚に陥ることもあった。
でもこれからは大丈夫。
頼れる人がいる。一緒に悩んでくれる人がいる。
がんばろう。幸せを数えて。
サントリーの成人の日のCM、泣くだろうなと思ってみたら、やっぱり泣いた。
あっという間なのかな、18年間って。
楽しめたらいいな。丁寧に向き合えたらいいな。