自分を省みること、育児のための備え
「反省」だなんて、いつからしていないんだろう。
悔やむことはある。振り返ることはある。
けれど、誰かに謝ったり、私が悪かったと認めたり、その上で次からはこうしようと改善策をたてたり…。
そんなことを私は最近いつしただろう?
いや、いつからしていないのだろう?
…
子ども時代は、「計画と反省」がセットだった。
それは人生の訓練、だったのだろう。
何かを考えて実行するだけではなくて、それが実際にどうだったのかという出来具合いと、自らの態度を振り返ること。
子どもの頃は当たり前だった事柄が、今では眩しく見える。
今はただ日常に流されて、あっという間に過去になっていって、
「もう今月が終わったね」、
……まるで私の弱さも失敗もなかったかのように、新しい月日を考えもなしに迎えてしまう。
…
こんなことを考えるのは、信頼できる育児書を読みながら、「私はどんな風に子育てするだろう、できるだろう」と思いを膨らませるからだ。
育児書の著者である児童精神科医はこんなふうに語る。
─思いやりのある子に育ってほしかったら、あなたが思いやりを持って接しなさい。そんな姿を、子どもに見せなさい。
─親ができないから、口で言うのです。
胸を衝かれる思いがした。
大人の私のできていないことを、さもできている顔で しなさい と子どもに言うことが育児?しつけ?
正論の剣を子どもに向けることは、恐ろしいことだ。まずは、自分の内面を見つめなければ。
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私には、完璧主義や、いい子であろうとする自分に苦しんできた一面がある。
だから、親になるのは怖いし、ためらいもあった。
「ありのまま、子どもを喜ぶ。受け入れる。子どもに共感する」それが私の大きな目標だ。
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できる親、なんかになれるはずがない。
できている人間、にも結局のところなれないのだ。
私の心に弱さがある限り。
でも、諦めてもいけない。
人としてもがいている姿を子どもに見せるのだ。
決して格好つけずに。
我が子─そんな眩しい存在に出会えるまで、私は私なりに、時には自分を素直に振り返ってみよう。
悪かったと思ったら、ごめんなさいと言おう。
次はこうしよう、と前向きに考えてみよう。