大人のプライドの溶かし方、模索中
今日、仕事で1つ心に引っかかる出来事があった。
簡単に言うと、あるお客様のご案内で、別のお客様を待たせてしまった。待たされたお客様の私に対する態度が…なんともいただけないなぁ(^^;)という話。
私は1つ嫌なことがあると、それをいつまでも引きずってしまう。その出来事以降、仕事中も、終わってからもそのことについて考えている。
せっかく考えるなら、心のうちでその出来事と向き合おうと思った。
◇
私のたどり着きたいゴールは「お客様は悪くない。私が、悪かった」という態度。
しかし、今の私の思いは「私も、悪かった。でも……」で止まっている。
頑固な心。
私だって忙しかった。別のお客様の案内をしたことは間違っていない。どうすればよかったの?…と、自分を擁護する思いは次々浮かんでくる。
でも、いつか、たどり着きたい。
待たせたお客様に申し訳なかった。私が、足りなかった。次はもっと意識して良い接客をしよう。そう心から思える境地に。
◇
人生を重ねていく中で、身に付けていくのは良いものばかりでないなとつくづく思う。
上手な逃げ方。言い訳のレパートリー。心にもない褒め言葉。頑固なプライド。
……そんなものたちが、時に自分を躓かせ、苦しませる。
素敵に年齢を重ねていくということは、やはり、"自分を律し"て、"へりくだっていく"ことだと思う。
聴き上手で、謙虚に相手を受容する姿、相手より先に自分が折れる姿を見ると、年齢関係なく感銘を受ける。特にそれが年上の方ならば、私もこういう風に年齢を重ねたいと強く思わされる。
簡単に手に入らないからこそ、そういう態度を取ることは大人にとって難しいと痛感するからこそ、憧れるし感動をもたらすのだ。
◇
大学生の頃だったか、ある祭りの実行委員をした際、私は祭りを終えて後片付けに奔走していた。撤収することしか頭になかった。
ふと見ると、隅っこで、私の同級生が小さな女の子にヨーヨーをやらせてあげていた。
きちんと目線を合わせて、急かす様子もなく、その子が満足するまで、しっかり向き合ってあげていた。
その様子を遠くから見ながら、なんて温かい空間だろうと胸を打たれるのと同時に、なんだろう、「あの子には敵わないな」という感覚が全身を襲ってきたのをはっきり覚えている。
人間力の差。与えられた人格の差、というのかな。
人前に立つことも口数も少なく、話すより聴く人だった同級生。心の清らかさが、当時の私には本当に眩しく映った(今も眩しく感じている)。お金を出しても手に入らない価値あるものを、そして私が持っていないものを、彼女はすでに手に入れていると思った。
あれから何年も経って、相変わらず私は私のままで、一向に彼女のように人を待つことも受け入れることもできていない気がする。
でも私は私として生きていかなきゃいけないから、今日の反省は明日以降、きっと活かせると信じて。今日は今日でよかったということで。