私の苦手なもの―
それは「敵意」だ。
私は人から敵意を向けられないように最大限注意を払って生きている。
幼い頃からそうだし、これからもそういう生き方をしていくんだろうと思う。
”人が好きだ” という表の顔。
すぐ裏には ”人が怖い”という本心が潜んでいる。
人からの怒りマークが怖いのはもちろんのこと、人からのクエスチョンマークも怖い。
わかってもらえないこと、はてなをぶつけられるのが怖い。言葉でも、表情でも。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
敵意の話に戻って、
今日職場である人の敵意を見てしまった。
その人は私に話しかけてきて、私の同僚に対する敵意をむき出しにしてきた。
驚きつつも私への敵意でなかったことを内心安堵すると同時に、いつか私にも矛先が向くのではないかと恐れた。
その人は言葉にはしなかったけれど、その目は私への苛立ちを感じさせる鋭いものだった。
言葉が、表情が、全面的に私へ向けられたものだったら、私は今日1日それらに因われ、何度も思い出し、傷ついたことだろう。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
私が挨拶を重んじるのも、人と会話するときに終始微笑むのも、ポジティブな言葉しか発しないように努めようとするのも、人を簡単に否定しないのも、敵意を生み出さないためだ。
敵意を生み出して、傷つけられ、心がえぐられるのを避けるためだ。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
私は悲しい出来事について、とんでもなく忘れるのが下手な一面がある。
何年前のことでも、何度でも泣けるほど、心が弱い。
結婚してずいぶん心は落ち着き、強くなったようにも思うけれど、人の怒り顔や人の怒り言葉ほど心を疲れさせ萎縮させるものはないと心底思う。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
今の職場で働いていて、思うことがある。
「人は自分を映す鏡だ」という言葉は、間違っていないかもしれないということだ。
私は職場のたいていの人を、親切で常識的で優しい方々だと思っている。
信じ込みたいだけかもしれないが、そういう前提で関わっている。
だから時に、同僚が同僚の陰口を言っていると驚く。あなたはそんなふうに捉えるの?相手は本当にそんな一面があるの?と。
みんなが私に丁寧に接してくれるのは、私がなるべくあたりさわりなく、穏やかに接しようと努めているからなのだろうか…と思ったりする。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
思ったことは伝えたほうが相手のため。
黙っていても状況は改善しない。
色々な考え方があるだろう。
でも、自分の何気ない言葉は人をふいに意図せず傷つける可能性がある。
そう思うから、慎重になる。言葉は重い。とても重い。
私はおしゃべりな性格だから、気をつけなければ。
静かに黙って生きていきたいものだと願う。
敵意に怯えるより、人を信じて積極的に関わっていけたら素晴らしいんだけどね。
にほんブログ村