人を許すことの難しさと尊さ
今朝、パートへ向かう道が渋滞していた。
しばし、ブレーキを踏んでじっとしていた。
ちょうど小さな橋を渡る途中。
ふと目線を上げると、大きな木々が朝の風を受けて、ゆらゆら揺れていた。
まぶしいほど鮮やかで、それでいて穏やかな木々を見ながら、ふと、自分の心が落ち着かない状態であることを感じた。
前の職場の、悪い意味で忘れられない人や出来事。
前の前の職場での、恥ずかしい経験や言われた悲しい言葉。
そんな、思い出しても仕方ないことを、いまだに思い出してクヨクヨしている自分。
あぁ、手放せていないんだな…。
緑の木々を見て、そう感じた。
忘れたい人を忘れるために、どうしたらいいか?
答えはわかっている。
それは、許すこと。
許せば、その人との記憶は自分に絡みついてくることなく、飛び立っていく。
しかし、答えがわかっていても、その境地にたどり着くのは簡単ではない。
私は傷ついた。傷つけられた。そんな思いは簡単に癒えない。
癒やされたい。だからこそ、許すのだ。忘れるのだ。
許すのは相手のためではなく、自分の心の平安のため。
ゆっくり揺れる鮮やかな緑を見つめて思わされたことは、きっと私の嫌いなあの人も、天には許されているのだから、私も許そうということ。
つい人に対して心の中で文句を垂れてしまうけれど、それさえ許して忘れられたなら。そう思う。