生きていくためにまず必要なもの
夫の小言をきっかけに懐かしい感覚を回想した。
子どもの頃、ふと感じたことは、子どもって言われるばかりの存在だなということ。
学校で、家庭内で、習い事で。
指導され、怒られ、注意されることがあまりに多い。
そのことに、子どもながら、言葉にならないむなしさがあった。
何をしても、結局は怒られるのか。
今までもこれからも、幾度となく注意されていくのか。
子どもの大変さ。
いじめられても簡単に逃げられないといった物理的な辛さ以外にも、精神的な面で、逃げ場が少ないという困難がある。
担任から注意されない、親から小言を言われない、習い事で指導されない道なんてほぼ確実に選べないんだから。
タチが悪いのは、指導する側、注意する側は、そうした子どもの立場に対する意識が低いこと。
本人はただ言って満足している。気持ちよくなっている。「子どものためだから」それを口実に。
怒ると脳からドパーて快楽物質でてそうだしな。
言いたいときに言いたいことを言ってるだけでうまく成長するなら、子育てに難しいことなんかない。
私は褒められてきたほうだ。そんな人間でも、参るほど多方面からいろいろなことを言われてきた。
参ったけど、なんとか、自己肯定感や自己受容が勝っている。感謝なことだ。
褒められることの少なかった人は、大きくなってからも、つらいだろうなと思う。
生きていくためにまず必要なことは何か?
お金でも知識でもない。自己肯定感だと私は思う。
周りに否定されても、私は私だ。
周りに注意され怒られてばかりでも、私は私を大切にする。
その根底がなければ、お金持ちだって社長だって、孤独だしむなしいと思う。
存在の肯定。無条件の受容。
そうした体験がなければ、言葉だけの叱責や体罰は、虚しい傷そのものだ。