制約の中にある自由を満喫する
何もかも自由、は、わたしにとって不自由だと思う。
ルール、制約、範囲があるからこそ、その中での自由を満喫できる仕様になっているのだ。
独身の頃は、何もかもが自由だった。
その自由さを私はいつも持て余し、使いこなせず、苛々や孤独や寂しさを抱えていた。
だから結婚したかった。一刻も早く。
独身を楽しめる人は心が強いと思うし、今も尊敬している。
しかし、結婚したことによる制約は思っていた以上に大きかった。
その不自由さを何度も嘆いた。
特に3年目は酷かった。
独身だったら、あの頃に戻れたら、1人になれたら… そういう考えが尽きなかった。
一言で表すと倦怠期だったんだと振り返る。
でも、願い通り自由になれたところで、楽しむより前に心細くなるのがわたしの持って生まれた性質。
1人を楽しむ前に孤独を感じる人間。
単独行動は好きだけれど、バックには信頼できる誰かがいてくれほしい。誰もいないフリーダムは、こわい。
今は服だってなんだかほとんど買わないし、ブランドの化粧品なんかもっと買えないし、旅行にも行けないし友達とカフェにもめったに行かない。
だけど必要な物は最低限揃えられるし、それについて何も言われない。
大きな移動はできなくても小さな集まりは参加できる。
そんなもんで、いいのかなって思う。
目に見える物を思い求めても、いいことないからね。
もっともっと欲しいって思ってしまうときは、自分でブレーキをかけるべきタイミングなのだと思う。