成人したのは随分前のこと。もう思い出せないくらいだ。
つまりそれは大人として歩いてきた期間が少しずつ長くなっていくってこと。
自分の性格を俯瞰で見れてきたり、世の中への見方が変わってきたり、私自身の生き方が変わってきたりして、大人として歩むのは興味深いなぁと思っている。
ひとつ、最近思い始めていることがある。
世界は誰かの思惑であふれている(のではないか)ってことだ。
何をとっても誰かの考え、策、ねらい、目的がある。
何も考えず歩いていると、その思惑にまんまとはまることがある。
その結果、思惑たちにお金を落としてきたことが何度もあったはずだ。
7月からのレジ袋有料化。
こうした変化には思惑がつきものな気がする。
各企業が、その変化に賛同し協力するふりをして、実は自社の売上を伸ばすために必死に策を練っている。
便利だ、使わない手はない、使わないと損する-
そんな煽りにも近い価値観の押し付けが、私の生活に潜り込んでくる。
これまで何度、目をこらして見てきたかな?
これまでどれくらい、一所懸命に頭を使って考えてきたかな?
浅はかだったと思う。目の前のきらびやかさ、つまりディスプレイの上手さや謳い文句の響の良さでフラフラと思惑に自分から向かっていっていたんだから。
いうなればカモだ。
これからどうしたいか。
むやみやたらに手を出したくない。
必要なものを必要な分だけ手に入れたい。
手に入れたものは大切にしたい。
煽りに影響されたくない。
アプリひとつインストールするのだって、きちんと考えてから決めたいと思う。
私が身辺をシンプルにしようとしているのも、「誰かの思惑」の中で溺れ死なないようにするためだとも思う。