【夏】料理という億劫【キッチンは地獄】
どうしたのか、調子が悪い。
気分が上がらないというのかな。
月曜日までの3連休は夫がいて助かることもあったが、昼も夜も料理して、疲れた。
産後、料理は最低限だったので、慣れないことをすると疲れが倍増する。
料理は過酷だ。
まず、キッチンに立つ時間の長さ。
離乳食を含めると、なんだか1日中キッチンに立っていた気がする。
子どもの世話して、大人の世話して、きりがないったらない。
そして、キッチン環境の悪さ。
暑いのだ、とにかく。
クーラーをつけていても満足に風が届かない。
扇風機をこちらに向けてしのぐが、あまり風を強くするとコンロの火が揺れて定まらないし、弱火にしたら消える。
男ども(夫)はこの過酷な環境を分かっているのだろうか?
たまにキッチンにきて自分のコップに水を注ぎながら「ここ暑いねー」と言うぐらいだ。
簡単な料理だって文句言わずなんでも食べてくれるならまだいい。
しっかり食べたい、バランスよく食べたいというこだわりがあるから余計に面倒だ。
何食べたい?なんて聞かない。煮物って言われるから。
誰がこのく○暑い日に炒めて煮込んでってするか!
しかし日曜の夜、レパートリーがなくなり、簡単な煮物なら作ろうか、という気になった。
「簡単なのでいいなら作るけど…人参、じゃがいも、ごぼうとか」と言ったらすかさず
「里芋食べたい!!」と言ってきた。
・・・・・。
里芋だけはいやだ。里芋が入ると簡単じゃなくなる。
触れたらかゆくなるから手袋必須で気をつかうし、下茹で必須だし、柔らかく煮て味をしみこませないといけないし、やりすぎると溶けてなくなるし。
結局、使いたくない材料1位を登場させるほど親切でもないので、煮物は買ってくることにした(買ってきてもいいなんて、産後だから。ここは夫の成長)。
しかし買ってきた煮物の風味が悪くて微妙な気持ちになった夜・・・。
今からお盆が憂鬱です。
頼むから昼夜どちらかだけにしてくれ。1食はどこかで調達してきてくれ。
みんなは一人のために、一人はみんなのために
子どもが大きくなるにつれて、難しさを覚えることが多くなった。
ミルクを飲んでも、寝ない。
あやしても、泣き止まない。
何をしても、不機嫌。
『あなたに今必要なものは何?』
優しい言葉、背中とんとん、頭なでなで、体ゆらゆら、
絵本の読み聞かせ、ふれあい遊び、
しなプシュ、オルゴール、
授乳、ミルク、パパ…
これまで効果のあった総動員で向き合う。
どうしたんだろう、なぜなんだろう。
眠いから?脳が成長中だから?離乳食が始まったから?
うんちが思うように出ないから?夕方だから?かまってほしいから?
結局、理由がわからないこともある。
昼過ぎから夕方は不機嫌なことが多いので、だんだん覚悟ができてきた。
自分が不機嫌なとき=ホルモンバランスのせいね、と言えるように、
午後はね、夕方はね、と言えると何となく楽になる気がする。
しかし今日は朝から不機嫌だった。
何度も授乳しているのに、膝にのせても声をかけてもおもちゃを渡してもぐずぐずがおさまらない。
『朝からか・・・』と正直げんなりした。
さらにそこに ピーピー。洗濯終了の音。
いつもならなんてことない家事が重く感じる。覚悟なく不意に「しんどいな」と感じることが余計にしんどさを大きくする。
「洗濯物、干そうか」
そう言って洗濯機を開けて黙々と干し始めてくれた夫に救われる思いだった。
「ありがとう」そうかるく伝えたけれど、本当はもっと大きな声で伝えたいぐらいだった。
『ありがとう!!本当に助かった!この後、なんとか頑張れそう!』
心の中で夫にそう声をかけていた。
最近の私は、夫に素直になることができないし、夫のために何かをするということがほとんどないので、今朝も素直に感謝を口にすることはできなかった。
少しずつ感謝を言葉に、そして行動に現していこう。夫のコップを無言で洗ってあげるとか(笑)
『みんなは一人のために、一人はみんなのために』という言葉がある。
ともだちはいいもんだという歌の詞だ。
小学生の頃に劇で歌い、数十年ぶりに歌詞を読んで、なんて素敵なんだろうと思った。
友情を歌ったものだが、「家族」にあてはめてもいいな、と感じて感動したのだった。
【1番】
友だちはいいもんだ 目と目でものが言えるんだ
困った時は力をかそう 遠慮はいらない
いつでもどこでも君を見てるよ
愛を心に君と歩こう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために
【2番】
友だちはいいもんだ 言いたいことが言えるんだ
悲しいときは励ましあおう 心はひとつさ
大人になっても忘れはしない
夢を大事に君と進もう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために
願わくば、子どもが、家庭の中でこのことを実感してほしい。
そして家庭で学んだことを、友人関係の中で活かし拡げていってほしい。
だからまず私が、これを実践できる母に、妻に、人間になろう。
「2人目」についてのあれこれ
ただの空想なんだけれども…
2人目を考えるとしたら、やっぱり条件というか、譲れないものがあって。
・1~2年は働く
・上の子どもが、兄弟をほしいと願う
・夫婦の気持ちに余裕がある
・上の子どもが順調に育っていて大きな心配事がない
・家計上、2人育児が不可能ではない
(余裕ということはないだろう)
・2人いても楽しめるだろうと私が思える
・4人家族の明るいビジョンが思い描ける
こんな感じかなぁ。
でも、絶対に無理しないと決めている。
ひとりで十分だって、心底、思っているから。
人生の難しさ。自分という人間
右手を上から、左手を下から背中の中央に向かって伸ばすと、以前のように指先が触れ合えなくなっていた。
あれ、こんなに硬くなってしまったのか、とショックを受けた。
身体は日々変化している。
その変化に無頓着だから、メンテナンスもしない。だからふと気がつくと、自分が思っているよりもずっとカチコチになっている。
「産後だから」「日々忙しいから」「子どもが第一だから」
と、いくらでも訳は並べられるけれど、カチコチになった体を抱えて一番苦労するのは自分自身なのだ。
私の場合、心もカチコチで、それに今苦労している。
若い時代からほんの少し足を伸ばしただけと、思っていても、日々は意外と大股で過ぎている。
もうずいぶん、あの頃のパッションもワクワクもアクティブさもない。もはや別人のようだ。
あの頃の私。「人のために何かしたい」「人と関わりたい」そんな純粋な姿が今では太陽光のようにまぶしく、直視できないほどだ。
時おり、人生ってなんだろう?って考える。
そして、人生ってなんて難しいんだろう!と思う。
それは、人生の目的や成功が
お金を稼ぐことや高い地位に就くことや意地悪をしてでも人を出し抜いて上へ行くことでは決してない、と考えるからだ。
意地悪でいい。悪賢くていい。人をだましていい。自分勝手でいい。自分のために生きればいい。
それがたしかな真実ならば、どれほど楽だろうか?振り返りもせず、左右も見ず、突っ走ればいいだけだから。
でも本能が「それは違う」と訴えかけるのだ。
赤ちゃんは座った!立った!それだけで最高の成長だ。
その後も動いた!話した!一つ一つの成長が宝物で喜びそのものなのだ。
何をしても成長。希望がある。
そして学校にいる間は学んでいる最中だからいくらでも失敗できた。悪い点数も取れた。
人間関係で問題があっても、未熟だから、学びの途中だからとかばってもらい、はげましてもらった。
よりよい未来のために学び続け、生き続けた結果の【今日】。
学校も卒業し、親から離れ、家族ができ、今こそ人間の真価が問われている気がする。
「おまえはいったい、どういう人間なんだ?」と。
それがひどく、恐ろしい。
さらに恐ろしいのは、人生が終わるまで、その問いがついてまわるということ。
肩書きがあっても、それが何になる、と思っている自分がいる。
○○卒業とか○歳に結婚とか○○に就職とか関係なく、
毎日、目の前にすべきことがあるのに何かと言い訳をして自分優先に生きてしまうとか、
支えはげますべき夫に対して評価ばかりして心の中でいつもこき下ろしているとか、
数え切れないほどの自分の弱さと向き合わずに生きていることとか、
・・・おいおい、自分って、全然たいした人間じゃないじゃないか、という恐ろしい気付き。
そして、そういう自分と向き合い格闘し本当の意味で「成長」できるように努力すること、それが人生なのかと考えたら・・・
改めて人生って、こわくて、難しいものだなぁと思う。
一晩で見方の変わる体験
昨夜はせっかくの穏やかな日だったが、夜の夫の行動が許せず、寝ながらモヤモヤし、部屋で一人泣くところまでいってしまった。
なぜ。愛のない行動。配慮のなさ。
なぜ、なぜと責める言葉ばかりが浮かんできた。
そこから気持ちを落ち着かせるような話をイヤホンで聴いた。
ほんの少し落ち着いた。
そして意識が、夫から自分へ、と変わっていくように感じた。
大きな問題のひとつは、そのとき私が全く眠れなかったこと。眠れない理由は夫、と決めつけていたのだが…。
そういえば、先日も眠れない日があったっけ。
振り替えるとその日も、知人と会ったり出掛けたりして、刺激の多い日だった。
眠れないのって、神経が高ぶっているからなのかな? と思った。
その後、夫への不満と内省をいったりきたりしながら、だんだん眠気が来て、あ、眠れるかもと感じ、イヤホンを外して目をつむってみた。
案外、こころは穏やかだった。
明日は夫に気持ちをぶつけてしまうのだろうか…。
明日はどんな風に感じるのだろうか…。
と思いながら眠りに落ちた。
今朝起きてみると、意外としっかり眠れたことに安堵する。
どうしても睡眠時間が不足するなかで、子どもが寝てくれたおかげで私も眠れた。子どもに感謝。
小言ぐらいは言ってしまうだろうけれど、ひとまず穏やかな気持ちで朝を迎えられた。
昨日のあの時間は私の内省のためだったのかなとさえ思えてくる。
絶対に夫が悪
その状態で夫にぶつからなくてよかった。きっとぼろぼろに傷つけたし、傷つけられただろう。
内省のなかで、自分の弱さや限界と出会い、そこから新しい希望や見方を見つけることもある。
貴重な体験をすることができた。
調子悪い日だからこそ、ゆっくり生きよう。
今日は土曜日。
週末があまり嬉しくないな、と思う。
夫がいることで、夫の育児への関わり方に文句をつけたくなるからだ。
今日は曇り、雨。
天気も関係しているのか、調子があまりよくない。
気分の落ち込み、無気力、眠さ、けだるさ。
今夜は夫とごはんを食べよう。
きっとコミュニケーションをとることで回復できるものもあると思う。
ぼんやりとした不満や不安を前に、思うことは大きなことを考えないで、小さなものを見つめよう、ということ。
データがパンパンだったけれど地道に消したら空きデータを確保できたとか、
メルカリで少しずつだが順調に子ども服を手放せているとか、
今夜はいつもと違ったスーパーのお惣菜が食べられるとか、
明日は久々に知人に会えそうとか、
今朝もコーヒーはおいしかったとか、
好きな芸人さんのYouTubeがおもしろくて笑ってしまったとか、
…色々と数えればそれなりにいいことはあるのだ。
じわじわ、味わえばいい。
目の前にある幸せを、
ひとつひとつ、ゆっくり、目をこらして。