「上手い下手」より「心があるかないか」
そんなつもりで生きていなくても、上手い下手というものさしで自分を測っている面がある。
例えば、料理はそのひとつだ。
人を家に呼びたくても料理が上手くないからなぁ、と考えてしまう。
口うるさい夫でも一応は完食してくれるくらいの料理は作れるはずなのだが、なかなか「自分は料理が上手い」という評価には至らないから、いつまでたっても人を呼べないままだ。
他の人に対して私がどう思うかというと、案外、上手い下手以上に、その人の心遣いや思いやりが嬉しく映ったり心に残ったりする。
出される料理についても“上手くなくてもいいよ”と思うし、そもそも上手い下手というものさしで頂いていないからか、ほとんどの物が美味しく感じられる。
逆に美味しい料理を仏頂面でターン!と出されても私はきっと美味しくいただけないもんなぁ。
結局のところ、料理のセンスじゃなくて、「変なプライドを捨てる勇気」こそが必要なものなんだろうな。
「気持ちを込めたなら、きっと伝わる!」と心から信じ、なるべく丁寧に行うこと。
あとは取り繕わずにありのままを見せる勇気、なんだろうな。